呉服加工須藤 HOME
業務内容 会社概要 価格表 読み物 よくある質問 求人 お問い合わせ
■用語集
あかさたな
はまやらわ

■間違えやすい家紋
 似ている紋
 上下左右
 紋帳による違い
 おまけ

■四季の装い
■着物の畳み方
■進物習慣
■掲載記事

■リンク
 読み物>掲載記事

新聞や雑誌等に掲載された職人さんを紹介します

◆平成15年1月1日(水) 道民雑誌・月刊クォリティ


直径2〜3センチの紋に
半日から2日ほどかける
「どういう人のどんな装いを彩るのか、想像しながら縫います」と語る尾崎良子さんは、着物に刺繍の紋章を入れる「縫い紋」を初めて30年。
家紋などの決まった型を縫うこともあるが、最近は花や動物などを自由にデザインする「おしゃれ紋」の注文が多いという。
型をデザインするため、絵の勉強もした。



使用する糸は800色ほど。
さらにデザインに応じて太さも使い分ける。
右手を布地の上、左手を下に据えて、垂直に針を刺す。
「お客様の預かり物に針を入れるのは、今でも緊張します。」
尾崎さんの作品には、女性ならではの繊細さが溢れている。

直径2〜3センチの縫い紋

 
日本刺繍

◆平成14年1月18日(火) 読売新聞夕刊記事


注文の反物が積み上げられた棚の前で、これから縫う反物を広げる福本先生
 正月と成人式には和服姿の女性が目立つ時。
「晴れ着」として着られることが多くなった和服だが、年中行事ごとに日本の心を伝えてくれる。
平面の幅の狭い1枚の布から、曲線の体にまといついて優しくなじむ立体の着物へ。 和裁は世界に誇る日本の伝統技能そのものだ。


 福本先生こと福本典子さんは、中学を卒業した年から和裁を習い始め、この道46年。
「技能」を一筋に追求し、当時はまだ数少ない和裁技能検定一級を1982年に取得した一級和裁士だ。
時には、人間国宝の織った数百万もする結城の着物まで任せられるという、札幌でも数少ない達人の一人。
針ダコのあるふっくらした厚い手が、なめらかに魔法のように針を扱う。
仕事柄、お弟子さんは年配の女性が多いのかと予想していたが、白い布をかけた裁ち台の前で針を動かしていたのは、20代から30代の女性たちで、 全員化粧なし、動きやすいパンツルックだった。


 だが、仕事場には厳しい掟があった。
「化粧は御法度。 着物を汚す恐れがありますし、ひざで反物を押さえて縫うこともあるので、着物を着ていては仕事になりません。 体から出る見えない蒸気で、縮緬などの絹物は伸びてしまうので、体から離して縫うように指導します」
 福本先生によれば、老眼鏡をかけて針に糸をとおすようになっては、和裁士の峠は越している。
「いい仕事ができるのは、指の関節が軟らかく、頭の神経とともに手がスムーズに動くときで、10年の修行を経て20代後半から30代かけて。 和裁は絹糸1本で布同士を合わせていく世界。  つやのある仕事をするには、終わりはありません」
 残念ながら、北海道の和裁の技術はトップレベルにはないという。
年に一度、東京で和裁士の腕を競うグランプリ大会があるが、まだ、だれも獲得していない。
 いかんせん伝統文化としての着物が北海道には定着していない。
 技能の面では、関西や四国の和服文化圏の和裁技術には後れをとっている。
「大会には必ず見学にいきます。 国内でトップの技術は世界一ということ。 最高の人の技能に比べ、私などはまだまだで、むさぼるように吸収してきます。」



 福本先生は今、着物にまつわるどんな動きも歓迎する。
 コンピュータを使ったミシン仕立ての和服、若い女性の洋服感覚の浴衣、二部式のツーピース感覚のような着物、デザイン画があればどんな注文にも応じたいと意欲的だ。
 時代は変わっても「着物の良さは不変だ」と福本先生。
 職人芸を手先に秘めながらも、手軽に着られる着物が店頭にたくさん出て欲しいと願っている。
ジーンズやトレーナーなどラフな格好で
和裁仕事をする"お針子"さんたち

◆北海道新聞付属紙「オントナ」


「家紋は、その家の名字のようなもの。何万種類もあって、今だに初めて見る物もある」という須藤さん


キュッキュー。
布と糸がこすれる音がリズミカルに響く
 それぞれの家によって何千、何万種類もある家紋。これを着物に付ける職人がいます。
 刺繍のように縫いつける方法と、染めたり描いたりしてつける方法の2通りがありますが、須藤洋子さんが縫う方の"縫い紋"の職人になったのは20年以上前のこと。
「須藤紋章店に嫁ぎ、自然に修業を始めることになりました。」
 経験豊富な男性の下について、毎日毎日何時間も座りっぱなし。
 はじめは思ったように出来上がらず、その日の体調によっても縫い目の大きさが違ってきたりと、「ずいぶん難しいものだ」と感じました。
 お客さんの紋を縫えるようになるまで2〜3年かかりましたが、独り立ちしてからも、1度もこの仕事をつらいと思ったことはありません。「自分の刺した着物に、思わぬところで出会ったりします。自分の手がけたものはひと目で分かりますからね。ああ、着てくれているなと嬉しくなり、自分が作ったものがずっと残っていくという喜びを感じます。」


 着物を着ない人たちが増えてきました。加えて、若い世代になると、自分の家の家紋がわからないという人たちも少なくありません。この分だと、だんだん注文が減って...ふと不安がよぎり、ひと縫いひと縫いする度に、もっと着物を着てほしいという願いがこもってしまいます。「夏の浴衣なら気軽に着られますよね。お盆だけじゃなくって、夏の外出にももっと。」



 主婦業と仕事はうまく両立してこられた、といいます。「子供が学校に行っている時に作業をしてきました。自宅でできるし、生きている間はずっと出来るし。女性に向いている職業かもしれません。」
 洋服を着ていても、すっと伸ばした背筋は、まるで着物を着ているよう。「会社の方はもっと職人がたくさんいて活気がありますから、ぜひ1度見に来てくださいね。」着物のそばに長く生きている緊張感が漂ってくるような、そして、母の優しさにあふれた笑顔で語ってくれました。

◆1999年3月発行・雑誌「クルー」


縫い紋を始めて25年
 自分の家の紋がどんな形をしていたかなんて無関心だったが、嫁入り道具にと仕立てた紋付きに、実家の家紋を入れることになって、初めて家紋を意識した。
 また、この時、着物に入れる家紋には染め紋、書き紋、刺繍する縫い紋があることも知った。
 創業55年の須藤紋章店(当時。現在は呉服加工須藤)は着物の仕立て、シミ抜き、丸洗いなどを引き受けてくれる着物の専門店であり、それぞれ専門の職人を数人抱えている。
 その一人、須藤洋子さんは、札幌で数少ない縫い紋専門の職人でり、25年の経験を持つベテランである。



 結婚前、理容師だった須藤さんが縫い紋を始めたきっかけは、嫁ぎ先である夫の実家が紋章店だったから。
 育児に追われていたころ、自宅でできる仕事をしたいと先輩格の職人について習い始めたと言う。とはいうものの、熟練した腕が求められる縫い紋は簡単にできるわけもなく、「最初の2年間は修業期間。毎日ひたすら刺繍の練習を繰り返していた」と懐かしそうに笑う。
 須藤さんの仕事場は自宅の一室。
 床の間のある和室に、反物に使う刺繍用の台、その上に四角い刺繍枠を置いて仕事をしている。
 どちらも日本刺繍専用の道具である。四角い刺繍枠に布を巻いてあるのは作業中に布地がずれないためもあるが、着物をキズつけたくないという須藤さんの心づかいによるものだ。「1番最初の仕事は黒の羽織で、緊張したのを覚えています。着物は高価なものですから失敗はできません。刺繍する時は神経を集中させてやっています。」



 家族が出かけた後、静けさが漂う家の中で針が布地に刺さる音、糸を引く音などが、四角い刺繍枠から響くように聞こえてくる。
 黙々と針を刺す須藤さんの後ろ姿は芸術家のようでもある。縫い紋には花などを刺繍する飾り紋もあり、「飾り紋が入った色無地の振袖はとても素敵なんですよ」と教えてくれた。
 また「着物っていいですよね。背筋が伸びて気持ちも落ちついてきて...。もっと多くの人に着てもらいたい」と語る須藤さんの話を聞くうちに、着物の魅力を再確認した。近々ある結婚式には和服姿で出席したいと思う。

理容師専門学校を卒業後、
理容店に勤める。
結婚を機に退職。
しばらくの間、出産、
育児に追われる。
子供が幼いため、自宅で出来る仕事として縫い紋を始める。最初の2年間は修業。3年目から仕事を請け負う。今までは札幌でも数少ない縫い紋専門の職人。